20年前、最大震度7を観測する新潟県中越地震が起きた。68人が犠牲になり、大勢の人が長い避難生活を余儀なくされた。そのとき受けた支援への恩返しを、と「チーム中越」は誕生。全国の被災地で活動を重ねてきた。この経験を生かし、今また、被災者の不安や困りごとに耳を傾けている。
先遣隊が母子避難所にトイレカー
「それぞれの避難所で困っていることを把握するのに時間がかかった」。能登半島地震の発生から2週間ほど経った1月中旬、石川県輪島市に入ったときのことを、公益社団法人「中越防災安全推進機構」(新潟県長岡市)の野村卓也さんは振り返る。
チーム中越は、長岡市内のボランティア団体や社会福祉協議会を中心に約30の団体で構成され、同機構が事務局の役割を担う。2008年に活動を開始して以降、災害のたびに団体間で情報共有しながら全国どこへでも駆けつけ、支援活動にあたってきた。
能登半島地震では、1月6日に現地の状況を確認するための先遣隊が輪島市に向かい、トイレを搭載した車両「トイレカー」を母子避難所などに設置した。前後して各団体もそれぞれ石川県入りした。
避難で分断されるコミュニティー
その頃、野村さんはあることに気がついた。
「自主避難所」の多さだ。学…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル